新ロイヤルホテル四万十

〒787-0029 高知県四万十市中村小姓町26

新ロイヤルホテル四万十
↑施設の外観


交通手段:高知龍馬空港→リムジンバス空港からJR高知駅行き約40分JR高知下車→JR土賛線高知駅から中村・宿毛行き約105分中村駅下車→徒歩約20分またはタクシー約7分
値段:6500~17010円

新ロイヤルホテル四万十

新ロイヤルホテル四万十画像1 新ロイヤルホテル四万十画像2 新ロイヤルホテル四万十画像3

四万十いやしの里四万十の宿

〒787-0155 高知県四万十市下田字北戎山3370

四万十いやしの里四万十の宿
↑施設の外観


交通手段:JR土讃線、くろしお鉄道中村駅〜タクシー(約15分)
値段:12600~22200円

四万十いやしの里四万十の宿

四万十いやしの里四万十の宿画像1 四万十いやしの里四万十の宿画像2 四万十いやしの里四万十の宿画像3

中村プリンスホテル

〒787-0034 高知県四万十市中村弥生町4−1

中村プリンスホテル
↑施設の外観


交通手段:高知竜馬空港→バス高知竜馬空港から約40分JR高知下車→JR土讃線中村・宿毛行き約92分土佐中村駅下車→徒歩約25分またはタクシー約6分
値段:5250~14700円

中村プリンスホテル

中村プリンスホテル画像1 中村プリンスホテル画像2 中村プリンスホテル画像3

なごみ宿安住庵

〒787-0000 高知県四万十市中村1815為松公園頂上

なごみ宿安住庵
↑施設の外観


交通手段:高知龍馬空港→バス高知龍馬空港から高知駅バスターミナル行き高知駅バスターミナル下車→JR土讃線高知駅から宿毛行き又は中村行き約100分中村駅下車→タクシー約7分
値段:13000~24000円

なごみ宿安住庵

なごみ宿安住庵画像1 なごみ宿安住庵画像2 なごみ宿安住庵画像3

ホテルサンルート中村

〒787-0015 高知県四万十市右山383−6

ホテルサンルート中村
↑施設の外観


交通手段:私鉄土佐くるしお鉄道中村駅→徒歩約5分またはタクシー約1分
値段:5250~8085円

ホテルサンルート中村

ホテルサンルート中村画像1 ホテルサンルート中村画像2 ホテルサンルート中村画像3

ホテル星羅四万十

〒787-1603 高知県四万十市西土佐用井1100

ホテル星羅四万十


交通手段:JR予讃線宇和島駅〜JR予土線宇和島駅乗車(窪川)行き(約60分)江川崎駅下車〜徒歩(約40分)またはタクシー(約5分)
値段:9450~21000円

ホテル星羅四万十

ホテル星羅四万十画像1 ホテル星羅四万十画像2 ホテル星羅四万十画像3

四万十旅行記

四国弾丸周遊 1泊2日(by UZさん)

四万十
初四国なので見たいところはいっぱい。
2日間と限られた時間なので近場になりましたが、四国の風を感じることができました。
1日目
兵庫−神戸淡路鳴門道−鳴門海峡−渦の道−小懸家うどん−
やまうちうどん(閉店後‥)−小歩危峡−大歩危峡−
大歩危祖谷阿波温泉宿「あわの抄」
2日目
宿−祖谷渓(小便小僧)−かずら橋−剣山(1955)−鳴門海峡−神戸淡路鳴門道−兵庫

なるとって滅多に見れないものかと思ってたんですけど、ちゃんと見れました。潮の干満もあるみたいですけど、日々見れるものなんですね。ほんとに渦巻いてるとはビックリです。
そして四国と言えばうどん!
UODNがブームになったのは去年でしたかね。
行けばいつでもやってるものだとこれまた思い込んでいました。
ちゃんとガイドブック片手に行ったのに開店時間までチェックしてませんでした‥。
あとは自然!山も渓谷もなかなか深い感じがして雰囲気ありました。
次は四万十川とお遍路参りに。

【旅行時期】2008/05/02~2008/05/03
【エリア】徳島県
【テーマ】登山・ハイキング
【投稿者】UZ

夏の足摺、四万十旅行(by ミスター赤ヘルメットさん)

四万十
2泊3日の日程で、
1日目
広島→九重夢吊橋→黒川温泉泊というコースで旅をしました。
ここではその続き、
2日目
黒川温泉→大分佐賀岬港→愛媛三崎港→足摺泊
3日目
足摺岬→四万十川→竜串海岸→帰広
の内容を簡単に紹介します。

【旅行時期】2007/08/15~2007/08/16
【エリア】足摺岬
【テーマ】
【投稿者】ミスター赤ヘルメット

円仁の、山東での巡礼の日々を辿る(by 彷徨人さん)

四万十
           石段に おのが影追う 登山杖
 
  “泰山鳴動して鼠一匹“という諺は,子供の時から、なんとなく知っていた。その泰山と言う山が、山東省のほぼ中央、孔子の故郷曲阜のとなりの泰安と言う町に所在すると言うことや、泰山が中国五岳の一つの東岳であり、古来始皇帝、後漢の光武帝、唐の玄宗、清の康熙帝などがこの山に登り,封禅の儀式を行ったところだと言うことは、中国に旅するようになって知ったのである。
  今年の8月15日には、小泉総理は必ず靖国神社に参拝するであろうと言う噂が飛び始め、そうなれば反日デモは止めようもないとの王毅大使の講演会での発言を気にしながら、炎天の日上海に向かった。四万十流しの鮎のごとく、一日上海流しの倭人となれば、それなりに中国の街に染まっていくのだ。翌日山東省の省都済南に飛行機で向かい、その日は、泰山の麓の泰安の町に泊まったのだが、夕方に、歴代皇帝の多くが封禅の儀式を行った泰山の麓にある岱廟に出かけた。ここは、歴史のある建物や石碑などがあちこちにある広大な敷地であり、見学には、一日は掛かるだろうと言われたが、その見学も暑さのため1時間ほどで切り上げ、木陰で涼みながら、行き交う人々の観察をしていた。
  泰山の石段は、一天門から7,000余段あると言われているが、僕は、体力を考え、この中天門から頂上の玉皇頂までの約5,000段の石段を登ることにした。翌日、まず麓の登山口に行き、泰山の入山料、大人120元を支払い、まずは、バスで中天門に行き、そこから石段を登り始めた。実は中国に来るといつも思うのだが、一段の階段の高さが日本と微妙に異なるのか,良く躓くのである。ここでも早速躓き、思い余って杖を購入した。初めての杖突登山は予想外に快適であり、確かに安全なのである。杖を突きながら、気温34度の中を、時に20段上がっては一休みし、始皇帝が雨宿りしたために、官位五大夫を戴いた松の下での暫しの休憩、そして急勾配の十八盤では一段上がっては一休みしていたら、後から元気な若者が腰を支えるように押してくれ、やっと南天門にたどり着いた。そこで少し休憩しながら、彼の話を聞いていた。青年はこの麓の農家出身の20歳(数え)の孫吉招君で、この7月に重慶大学の美視電影学院に、定員10人の難関を突破し、お母さんと一緒に、道教の霊地でもある泰山に、合格のお礼に登山をしていたのだ。やがて質素な身なりだが、日焼けした顔に笑みを湛えた母親が、我々のほうを見ながらゆっくりと登ってきた。嬉しそうに話す息子自慢はとても清清しく聞くことが出来た。今度は重慶で会いましょうと約束して分かれた。その日は頂上到着後、山上のホテルで宿泊し、翌朝4時に起き、ご来迎を見に日観峰に向かったのだが、生憎と雲が厚く、この日のご来迎は諦めざるを得ず、後はロープウェイで一気に下山することにした。
  
   午前9時の威海行きの長距離バスに乗り、山東平野を延々と走り続けるのだが、途中僅かな休憩に軽い食事を取ったり、時に転寝したり、日記を書いたりしながら、午後5時過ぎに、やっと黄海に面する山東半島の先端にある軍港でもある威海の町に到着した。         
  実は、天台宗延暦寺第三代座主慈覚大師円仁の中国での足跡に出会ったのは、山西省の五台山の竹林寺が初めてであった。何故五台山に、日本僧の記念館があるのかは、その時は、実は良く分からなかったのだ。その後、円仁さんの中国滞在日記である『入唐求法巡礼行記』の、ライシャワー版を読んだら、彼の跡を、更に辿ってみたくなり、これまでに揚州、西安、太原、そして河北、河南省のあちらこちらを歩いてきた。
  円仁は、838年に短期留学の還学僧として、遣唐使の一員で中国に渡ったのだが、短期滞在の円仁が法を犯して中国に留まり、師最澄の果たせぬ無念を思いながら、山東省威海にある赤山法華院に密かに留まり、そこから9年間にわたり、各地のお寺や佛蹟の巡礼を続けた。帰国するに当たって、再びこの寺に滞在し、847年この威海の町の赤山浦から日本に戻っている。
  黄海に面する入江を見下ろす高台に、円仁の日記に基づき再建された赤山法華院の、予想外の大きさには驚かされた。ここも、当然に日本の延暦寺が、何かと配慮しているのであろう。境内は今は盛りの夏花の輝きにあった。
         
             百日白 煙るがごとき 凪の寺
    
  慈覚大師円仁は唐朝武帝の仏教弾圧の時期に直面し、時の政治と官僚の融通の無さに悩まされたが、庶民の分け隔て無き温かさに励まされながら,9年余の中国巡礼を続けることができたのだろう。今のこの日中関係を、是非彼に聞いてみたいような気がするのだが。
  年末に、京都の比叡山の麓に当たる紅葉の名所である赤山院を訪れた。円仁さんの隠居所といわれたところであるが、地味で質素な静かな佇まいに、気持ちがとても穏やかになっていくのを感じていた。(第39回)




表紙の写真:麓の登山口であるバスターミナルから眺める泰山




【旅行時期】2005/08/12~2005/08/18
【エリア】山東省
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】彷徨人

原風景そして清流(by 永遠の旅人さん)

四万十
日本最後の清流四万十川には、ぜひいってみたかったです。
橋も潜り橋という独特の橋で、自然に優しい作りです。

【旅行時期】1998/03/~1998/03/
【エリア】中村・四万十川周辺
【テーマ】自然・動物
【投稿者】永遠の旅人

土佐の旅No5・・・四万十川の遊覧(by 早島 潮さん)

四万十
平成20年11月3日(月)
 朝の散歩も終りホテルへ帰り稲荷弁当とままかりの惣菜で朝食を済ませると8時半に予約しておいたタクシーが迎えにきた。乗船希望者の集合場所であるアカメ館へは10分ほどで到着した。連休最終日だというのに乗船者が少ないのは意外である。大型遊覧船へのお客が15名ほどである。舟母船へは筆者一人だけのようである。

 アカメ館へ集合したお客を自動車に分乗させて上流の乗船場へ移送するシステムのようである。迎えの車の来るまでの待機時間に館内の土産物を買ってもらおうとの営業戦略が窺える。四万十川の特産品が店頭には陳列してある。

 目が赤いのでアカメと呼ばれる四万十川に棲息する魚も水槽で泳いでいた。大型遊覧船の乗客達の迎えのバスが出発してから暫く待つ程に小型ワゴン車が迎えにきて車上の人となる。車は堤防沿いの道路を川上へ約15分程走行して乗船場へ到着。予想したようにここにもお客はおらず、独りだけの貸切舟となった。船頭が二人同乗した。

 船頭と対峙して約一時間、四万十川にまつわる話を聞くことができた。

☆四万十川の地名の由来に四説ある。
1.流域での米の収穫量が四万十石とする説。
2.地名が複合して何時しか四万十と呼ばれるようになったとする説。
3.枝川が多いので四万十川と呼ばれるようになったとする説。
4.アイヌ語では川をシマンヌというので四万十川と呼ばれるようになったとする説。然しアイヌ語説はこの地方にアイヌ人が居住した痕跡が見当たらないので後からこじつけた説臭いこと。

☆四万十川の伝統的な漁法
 1.ガラ曳き漁
 2.ノボリオトシ漁
 3.ウナギのヒゴ釣
 4.ウナギのスズグリ
 5.ウナギのコロバシ
 6.ウナギのイシグロ
 7.柴漬け漁
 8.ハエ縄漁
 9.ハエ縄
10.エビ玉漁  
11.カニウエ漁
13.ウナギ掻き
14.アユ網漁
15.スズキ瀬張り網
16.流し網漁
17.棚網、トバシ網                
 と実に多様である。

 同乗した船頭は鯉漁が得意だという。面白いと思ったのは抱き鯉漁といわれる漁で、これは寒中ウエットスーツを着て川底に潜水し休眠している鯉を抱き抱えて捕獲するのだという。通常は一潜水に一尾の捕獲であるがヴェテランになると布袋を持って潜水し袋の入り口を鯉の頭近くに設置しいきなり鯉の尻尾を叩いてやると鯉は猛然とした勢いで袋の中に飛び込んでくるから一潜水で何尾もの鯉を捕るらしい。

 鮎は海水と淡水が混わる水域で産卵し四万十川では赤鉄橋付近が産卵場になるという。四万十川の現在の水深は16メートル〜20メートル位であるが今年は台風が上陸しなかったので水量が少なく透明度も低い。四万十川が清澄であるためには台風や洪水はウエルカムであるという話は意外であった。

 川を清澄に維持するために流域の関係者は努力を続けているが水質汚濁の原因は生活排水の流入と森林の間伐が人手不足のため出来ないこと。また針葉樹の植林が進んで闊葉樹が少なくなり保水力のある腐葉土が蓄積されないことにあると嘆いていた。

 またこの川には沈下橋と名のつく橋が多い。これは大水が出たとき漂流物が欄干に引っかかり橋が流されないように最初から欄干が付けられていない。大水になると橋は水面下に沈むのである。住民の生活の知恵が生み出した四万十川独特の橋である。沈下橋は舟母船から遠望しただけであった。

 船頭から聞いた漁法を帰宅後ネットで調べたので転載しておく。
以下は全て
  • http://www.city.shimanto.lg.jp/simanto/gaiyou/gyohou.html
  • からの転載である。                                              
    ○ガラ曳き漁(ゴリ)
    チチブの稚魚 戦後間もない頃まで専業漁家の間で行われていたようであるが、現在では殆ど行われておらず、僅か1〜2の漁家が操業しているに過ぎない。
    漁獲の方法はサザエの殻を何百個も吊した荒縄の両端を各々人と舟で曳き、前もって適当な場所に設置した四ツ手網の方向に引き寄せて、ゴリを追い込む。貝殻を吊した荒縄の長さは、およそ50m程あり、これを上流から下流に向かって曳く。操業期は2月頃から4月頃。

    ○ノボリオトシ漁
    流れの早い瀬に仕掛ける漁法で、流速を利用してゴリを通網で誘導し、そのかけ上がりの先端で強い流速に押され、トラップ付の魚取り箱にゴリを落とし込むというものであるが、この漁法については知事の許可が必要である。

    ○ウナギのヒゴ釣り
    ウナギは夜行性のため昼間は穴の中の隠れ家に潜んでおり、その中に針を取り付けた竹ひごにミミズやドジョウを餌にして、穴の中に差し込んで釣る方法である。

    ○ウナギのズズグリ
    ミミズを糸に通し、数珠状にしたものを竹の柄をつけた細長い鉄棒の先に縛り付け、洪水時の流れの中に差し込んでウナギを釣る漁法であるが、この場合鈎針は一切使わない。

    ○ウナギのコロバシ
    竹ひごで編んだ筒状の物や木製の筒状のもの、又は、竹の輪切りにした筒などの片側にトラップを取り付け、残りの片側に取り出し口を設けた漁具で、餌は活きたミミズ、ドジョウ、ハヤ、エビ等を入れて一昼夜、川底に仕掛けておく。

    ○ウナギのイシグロ
    川底を30?程掘り、グリ石を積み上げて人工的にウナギの住み家を築き、それに潜り込んだウナギを捕える原始的漁法。

    ○柴漬け漁
    1.5m程度の常緑樹の枝をひと抱え程に束ねて、それを川底に仕掛けて数日置き、ゆっくりと引き上げ大型のタモで抄い、ウナギ、カニ、エビ等を獲る原始的な漁法。

    ○ハエ縄漁
    幹素(オモソ)再燃り32本に枝素(エダス)5号程度のナイロンテグスを4〜5・おきに結び付け、これに鈎針8〜9号を取り付ける。
    ノハエ(ノハチ)の長さは約150尋(1尋=1.5m)程度で、餌はミミズかエビ、対象漁によっては、他の餌も使用するが、殆どの場合、夕方川底に仕掛け、早朝に取り込む。

    ○ハエ縄(一本ハエ縄)
    1.5 m程の細い竹竿の端にナイロンテグス5号程度のものを2〜3m取り付け、先端に鈎針8〜9号を結び、餌はミミズか活エビで、本流に流れ込みの小川の岸のここぞと思うポイントに投げ込みウナギを狙うハエ縄漁であるが、主に少年達がアルバイト的に行った漁法である。
    一日に50〜60本も仕掛けておけば、多い時はウナギ籠の底が見えない程釣れる時もあった程である。しかし、70年代頃から始まったシラスウナギ漁のため、天然物のウナギが激減し、今では、この漁法が行われるのを見ることは殆どない。

    ○エビ玉漁
    夏場の四万十川の風物詩とも言えるのんびりとした漁法で、直径15?程の小さな糸で編んだ玉網で川底を徘徊しているテナガエビを伏せて捕る漁法である。
    昔は沢山のエビがいたので、子どもでも真昼間に捕ることができたが、現在では乱獲によって川エビも激減しており、昼間はその姿を見ることさえ難しくなった。

    ○カニウエ漁、テヌイエ漁
    30?径程度の亀甲状に編まれた竹籠をひっくり返した型状のものの口の部分に板で底を作り、竹籠の側面に高さ10 ?、幅20?くらいの入り口を作り竹籠で作ったコシタと言うトラップを取り付け、これを通過したカニが後戻り出来ないようにしたもので餌には雑魚を竹籠にくるんで内部に置き、石の重りを入れて、これぞと思うポイントに沈める。 一昼夜おいて、次の日に取り込む。
    近年、化学繊維の漁網製のものが多量に安価に販売されており、竹製のカニウエ漁はついぞ見かけることはなくなった。
    チヌウエ漁は、先述のカニ籠を一回り大型にしたようなものであるが、チヌウエの場合は小さな力で持ち上がるような微妙な設定が必要であり、誰かれ作られるようなものではなかった。この底板の内側の部分にカニを漬したものを泥とこね合わせ、3〜4 ?の厚さに貼り付け、緩流の水深のある所へ早朝に沈め、夕暮時には取り込む。

    ○ウナギ掻き
    先端が4〜5本の櫛状になった鉤型の鉄製の漁具である。
    これは冬場、泥底に潜っているウナギを引っ掛けて漁獲するための道具であるが、近年は、この漁法は殆ど使われていないし、この道具も見かけなくなった。

    ○アユ 〈網  漁〉
    建網(火振り漁)、投網(トアミ)、なげ縄、地曳網 〈釣り漁法〉オトリガケ(友釣り)、シャビキ(コロガシ)、シャクリガケ、ピンガケ

    ○スズキ瀬張り網
    落鮎シーズンには、夏場上流まで鮎を追って遡上していたスズキが大群で降り始めるか、これを狙って、急流に杭を打って網を張り、流れに乗って落ちて来るスズキを待ちぶせて獲る漁法。

    ○流し網漁
    表層を遊泳する。主にスズキ、ボラを獲ることを目的に使用する網で、型状は建網であるが、強い浮力の浮子によって沈垂を川底から浮かし水面から網が垂れ下がった状態で、流れにのせて下流に向かって流すものである。現在では使用されているのを見たことがない。

    ○棚網(ボラ)、トバシ網(ボラ)
    この漁法は現在、四万十川では操業されておらず、知る者さえ僅かな人数ではないかと思われる。
    この構造は独特であり、ボラの習性を利用したものである。主網の部分はナイロンモノフィラメント8号、5節、高さ6〜8m、長さは長いものでは500mに及ぶものもあったようで、四万十川に於ける漁具としては最大である。
    この主網の下部には当然沈垂が付いており、上流には浮子が取り付けられている。これだけならば普通の建網であるが、この浮子の片側に幅1.5〜2mの棚網が取り付けられており、その端には浮子が取り付けられており、張り建てられると水面にこの棚網があたかも壁に取り付けられた棚のようになって浮かぶ。
    巻き建てられた網の内側から追い込まれたボラは驚いて逃げ惑うが、網を目前にして飛び越す習性を持つ。
    ボラは、主網を飛び越してこの網棚の上に落下し、待ち構えていた漁師が次々とすくい上げる。 これに類似したものにトバシ網漁という漁法があるが、これは、沢山の舟を棚網と同じように網の片側に連ねて、魚群を巻く方法をとるのであるが、追われて驚いたボラが棚網よろしく舟の中に飛び込むという算段である。
    先方から勝手に舟の中に飛び込んで来るのだから、すくい取る手間も要らず、のんびりとした漁法であるが、何しろ沢山の舟が必要な漁法であり、今日では、この漁法も過去のものなり、知る人もいない。
                                                 

    【旅行時期】2008/11/03~2008/11/03
    【エリア】中村・四万十川周辺
    【テーマ】
    【投稿者】早島 潮

    四万十inリバーサイド

    〒787-1106 高知県四万十市佐田38-1

    四万十inリバーサイド
    ↑外観

    四万十川を目前に臨む水辺の宿

    全室四万十川展望/ユニットバス・トイレ/ドアロックキー付き

    四万十inリバーサイド

    四万十inリバーサイド画像1 四万十inリバーサイド画像2 四万十inリバーサイド画像3